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30才までに叶えたかった、夫婦ふたりの世界旅行記。インスタに写真あげてます!ID:ucchiii0310

近代史上最悪の虐殺があったアウシュビッツ強制収容所と、ヴェリチカ岩塩坑

7月23日にロシアビザ申請して、受け取り予定日の8月1日までヒーマーってことで、再びポーランドに行ってきました。
ビザの申請中はもちろんパスポート預けてるから、普通は国境越え出来ないんだけど、ヨーロッパでシュンゲン協定に加盟している国家間の移動は、自家用車の場合ノーチェックで国境越えができます。
なのでヴィリニュスでレンタカーを借りて、ポーランドへ!

目的は、どーしても行きたかったアウシュビッツ強制収容所と、以前しゃべくり7で誰かが紹介してたヴェリチカ岩塩坑の、二つの世界遺産
どちらもポーランド南部のクラクフという街の近くで、ヴィリニュスからは車で11時間ぐらい。
昔はレンタカーでこの遠さだと躊躇していたけど、アメリカ横断を乗り越えた今やなんのためらいもない笑

まずはサラッとヴェリチカ岩塩坑から。
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1250年から1996年まで約750年も稼働した、世界最古で、地下300m以上&全長300以上の広大な岩塩坑。
ツアーでしか入れなくて、ツアーの時間はなんと3時間。

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中には広大な空間が広がってています。
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シャンデリアは塩でできているらしい。
教会やスポーツ用のコート、人口湖などもあります。
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坑夫が作った彫刻も。
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ただ、最近始まったされたらしいプロジェクションマッピングが微妙(やっすいトランスに中途半端にオシャレぶった映像。坑夫のドキュメンタリーとかの方がよっぽどいい)だったり、なんか最近作ったっぽい謎の生物が顔を出してたり、
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なんだか進む方向性を間違ってしまってる気も。。。笑

3時間歩き回っても、全体からしたらごくごく一部。
人工で作ったとは思えない広大さと、そこで働いていた坑夫達の苦労や生活が伝わってくる内容でした。

***

そして、翌日は負の世界遺産アウシュビッツ強制収容所

訪問して数日経っているけど、思い出して記事を書こうとすると今でも胸が痛みます。。

近代史上、最も残酷で最悪の犯罪が行われた場所。

アウシュビッツオシフィエンチムという街にあって、2箇所の収容所が公開されています。

アウシュビッツ1が最初に作られた収容所。ここが手狭になってきて、かつナチスがもっと効率的にユダヤ人を虐殺できるように作られた、いわゆる虐殺工場がビルケナウと呼ばれるアウシュビッツ2です。

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これらの場所で、少なくとも130万人、ほとんどが罪のない人々が虐殺されたそうです。
1940年から1945年までの4年間、平均しても1日1000人(!)が虐殺された計算です。
その内の90%の110万人がユダヤ人(Jews)で、ほとんどがあの悪名高いガス室で殺されました。


当時のナチスは、本気でユダヤ人を“絶滅”させようとしていたそうです。
これは訪問の前後にネットで調べた情報ですが、当時のはドイツだけでなくヨーロッパ全体でユダヤ人に対する迫害が強くなってきていたらしく、ナチスユダヤ人排斥の政策も、最初はヨーロッパ諸国に暗黙に支持されていたようです。ユダヤ人には当時から資産家も多くて妬みも強かったんでしょうね。

ドイツは当時経済が疲弊していました。それを労働者を支配しているユダヤ人のせいにして「ゲルマン民族最高!今ドイツが苦労してるのは全部ユダヤ人のせいだ!」ということです。
国内の鬱憤をそらすために外に敵を作り上げて国内をまとめることは、国内に問題のある国では今でも行われていることですが。。

アウシュビッツもビルケナウも、入場料は無料です。
ガイドをつけて回る場合は料金が必要。

日本人のガイドさんもいるらしいんですが、直前だったし2人でお願いすると高いので、自分たちで回ることに。
その場合、入り口で日本語のガイドは絶対に買っておくべきです。200円弱で買えるので。

週末で人が多かったからか、アウシュビッツは3時まではガイドツアーのみの入場だったので、先にビルケナウから。
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ぎゅうぎゅう詰めの列車でこの正門から入った人々は、10人に1人も帰ってこれませんでした。

到着後、そのまますぐに敷地の中央付近で、“選別”が行われます。
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労働力になりそうな男性、語学など特殊技能がある人以外の75%はそのまま(!)奥のガス室に送られます。
つまり、女性や子供はほとんどがそのままガス室送りということ。。。

男性用の木造バラック
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女性用のレンガバラックの内部。
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三段ベッドになっていて、一つの箱の中に8人も収容されたらしい。
当然すごく不衛生で、疫病も蔓延していました。

ガス室に続く引き込み線。
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そしてその奥の左右にガス室。
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建物はナチス敗走時にが証拠隠滅のために爆発されていますが、構造はそのまま残っています。

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到着後、「シャワーを浴びる」と言われて所持品を没収されて全裸にされ、そのまま奥の左側に伸びる部屋に詰め込まれます。
そこには一度も水は出たことのない飾り物のシャワーがあったそうです。
そこに殺虫剤「チクロンB」が投げ込まれ、全ての人が亡くなるまで20分足らずだったそうです。
シャワーだと思って入って、シャワーじゃないと気づいて、出口に殺到しても当然扉は開かず、次々と苦しみながら死んでいく恐怖と絶望感、苦しみといったらもうね。。。

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アウシュビッツ1にある模型。
左が脱衣所、手前がガス室、上が焼却炉。

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没収された所持品。
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移住させられるだけ、と騙されて連れて来られた人々は、全財産を持ってきていました。
それらは没収された後、価値のあるものはドイツ国内で転売されて使われていたそうです。

ここからはアウシュビッツ1の見学。
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正門に掲げられた「働けば自由になれる」の文字。
実際は自由になれることはなく、劣悪な環境と過酷すぎる労働によって、3ヶ月以上生き延びることはまれだったそうです。
左側のBの文字が逆さまなのは、作らされた囚人のせめてもの抵抗の証だったとか。

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アウシュビッツ1の方が、後に作られたビルケナウよりも造りはしっかりしているように見えます。

没収された品物の数々。
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靴。
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メガネ。
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トランク。名前が書かれているのは、「後でわかるように」と安心させるために書かれたもの。もちろん2度と持ち主に戻ることはなかったわけですが。。

この他にも、撮影禁止の部屋に大量の毛髪もありました。織物として絨毯などになって出荷されたそうです。

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ガス室で使われたチクロンBの空き缶。
これを製造していたデゲッシュ社は今でも現存するそうです。

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ソ連侵攻後に救出された女性、赤ちゃん。

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ほぼ毎日労働中に死者が出て、遺体を囚人が運んでいる様子。

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数々の銃殺が行われた10号棟と11号棟の間にある死の壁
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銃殺後の遺体も、囚人に運ばせています。

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この11号棟では、銃殺よりも効率的にユダヤ人を殲滅させるための、ガス室の実験や、犯罪的な医学実験(断種実験など)も行われていました。

その後できたガス室。
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チクロンBが投げ込まれた投入口。


ここで行われた残虐な犯罪の数々は、想像しても想像が追いつきません。
正気の沙汰とは思えない。狂気としか思えない。

チクロンBによる虐殺を主導したルドルフ・ヘスは、死刑前にこう言っています。
「・・・略)私は命令を受けた。だから実行しなければならなかった。」
「彼らは決して理解しないだろう。その男もまた、心を持つ一人の人間だったということを。彼もまた悪人ではなかったということを。」
Wikipediaより)

人間は大きなシステムの中で思考停止してしまい、どこまでも凶悪になりうるということ。
ここはその証拠であり、存在を知ること、訪れることでそれを心に刻む場所だと思います。

この日は週末ということもあり、多くの見学者がいましたが、日本人の訪問者は他国に比べて少ないそうです。
ワルシャワからは少し離れていますが、近隣諸国に来る際には少し足を伸ばして訪れる価値はあると思います。
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***

さて、話はガラリと変わります。
その後、どーでもいいけどウッチという街に宿泊して、
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帰りがけ、再びワルシャワに立ち寄って来ました。
目的は、前回ワルシャワを出てから教えてもらったワルシャワ1のオススメレストラン。
ワジェンキ公園の中にあるBELVEDERE。
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教えてもらったホームページ見てみると、ドレスコードがあるレベルの高級店。
こんなん行けるカーイ!(  Д ) ゚ ゚
と思いつつ、せっかくなので最大限のオシャレ(ポロシャツ&チノパン)をして行って来ました。
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これは行って大正解!たしかにワルシャワ1位だわ(サンプル3だけど)。
値段はランチで1人5000円ぐらい。

その後、ほろ酔いで公園の芝生で昼寝、という至高のひと時。
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今現在はビリニュスに舞い戻ってビザ発行待ちの日々。
始めてのカウチサーフィン(現地の人のお宅にタダで泊めてもらう)中。
クリスティーナいい人すぎる!っていう話はまた次回〜。